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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

謀略集団・妙観講

2006年6月10日 10:58:44
『創価新報』2005年9月21日付

デマビラの“常習犯”妙観講

今回も構成員がコソコソ配布
公明党が刑事告訴申し立て
選挙のたびに妨害企む悪辣

写真 選挙のたび謀略を繰り返す妙観講本部(東京・杉並区)

 選挙の時期が近づくと、お決まりのように学会や公明党を中傷する“デマビラ”“違法ビラ”の類を、夜陰に紛れてコソコソ撒き散らす連中がいる。それが山崎正友“手足”となって謀略活動を行なう妙観講の一派だ。
 9月11日に行われた衆院選の際にも、東京・北区、足立区や神奈川・横浜市、埼玉・巣鴨市などで“中傷ビラ”が大量に撒かれた。
 これに対して公明党は、このビラが名誉毀損にあたるとして、刑事告訴の申し立てを行なっている。
 今回の中傷ビラは、公示後に配られるという極めて性質の悪いやり口だった。なかでも9月3日午前2時過ぎ、北区内でビラ配りをしているところを見つかり警察に連行されたのは女性二人だった。
 それにしても、真夜中に女性にビラ撒きをさせるなど、非常識も甚だしいではないか。
 この中傷ビラは、一見、発行元不明の“怪文書”を装っていたが、すぐに馬脚をあらわした。やはり、あの妙観講が深く関わっていたことが明らかになったのである。
 まず、ビラの片面の内容は、「しんぶん赤旗」からの引用である旨がご丁寧にも但し書きされていたが、これは首謀者が責任逃れするためのカモフラージュにすぎなかった。
 慌てた共産党が、「この謀略ビラは共産党とは全く無関係」と選挙管理委員会に申し入れたと、赤旗(9月4日付)紙上で報道したほどだ。
 そしてお粗末なことに、ビラの片面に使用されたイラストは、山崎が操り、実質的に妙観講が構成している「被害者の会」の機関紙「自由の砦」(平成7年6月8日付)に掲載されたものとまったく同じだったのである。さらにその一部は、日顕宗の御用機関紙「慧妙」(平成15年11月1日付)にも転載されている。
 なおイラストそのものは「慧妙」紙上で連載している「まっど・つるしま」なる人物が描いたものであろう。
 ともあれ、ビラ作成の段階で妙観講が関与していたことが容易に想像されるのである。
 さらに致命的なことに、神奈川ビラ撒きをして警察に連行された男が、妙観講員そのものであることも判明した。
 複数名が広範囲でビラ撒きを行なっている点も含めて、犯行が組織的に行なわれたことは疑う余地がない。

 妙観講をはじめとする日顕宗の選挙狙いの謀略は、これまで司法の場で何度も断罪されてきた。
 妙観講幹部の佐貫修一らが平成12年4月、衆院選を前にして配布したデマビラ事件では、佐貫らが公明党から名誉毀損で訴えられ、今年(平成17年)2月に100万円の賠償命令が確定。その判決は、デマビラが日顕宗の寺院等を通じて大量に撒かれた点に着目し、「組織的に広く配布された」「衆議院総選挙を直前に控えた時期に行なわれた」と厳しく糾弾した。
 また、同じデマビラを配布した日顕宗坊主の近山智秀(大阪・平等寺)と檀徒に60万円の賠償を命じた判決も確定している(平成15年7月)。判決では、「原告(=公明党)の勢力伸長を阻止するための一種の事前運動」であると指弾された。
 さらに平成13年5月、都議選、参院選直前に、やはり佐貫らが撒いた違法ビラ事件では、「著作権(複製権、譲渡権)侵害」「著作者人格権(同一性保持権、氏名表示件)侵害」が認定され、佐貫に対して100万円の支払いが命じられた。
 ちなみに、この佐貫という人物は、山崎正友「カバン持ち」よろしく、山崎の手先として謀略の陰でチョロチョロと動き回っていた人物。
 あの信平狂言事件の際には、妙観講副講頭の佐藤せい子とともに、「週刊新潮」記者の門脇某と謀議をめぐらせ、裁判の起こし方やその後の騒ぎ方まで画策してきた男だ。
 佐貫が起こした一連の事件にも象徴されるように、妙観講とは組織的に違法行為を行なう謀略集団であり、その反社会性が問われている。


『聖教新聞』2006年3月11日付

名誉棄損のデマビラ訴訟で

日顕宗檀徒が全面敗北 長野地裁
今後、学会員への中傷を禁止

 日顕宗檀徒の陰湿な不法行為が、裁判で厳しく裁かれた。
 日顕宗・妙相寺(長野市)の檀徒・樋田昌志(元講頭)らが作製・配布した、学会中傷のデマビラをめぐる裁判で8日、被告・樋田側の実質、全面敗訴の内容で和解が成立した。
 樋田ら檀徒数人は一昨年、長野県の学会員(故人)を中傷する悪辣なデマ記事を載せたビラを長野県飯山市内などで多数配布。学会員の遺族5人が「悪質なプライバシーの侵害であり、名誉棄損」として樋田ら檀徒6人を長野地裁に提訴した。
 厳正な審理の結果、今回、裁判長の勧告により、原告側の主張が全面的に認められる形で和解手続きが成立。和解内容によれば 1.檀徒側が遺族全員に賠償金を支払う 2.樋田らは、ビラの記事の主要な部分が事実に反することを認め、公式謝罪する 3.「今後、創価学会会員個人の名誉、プライバシーを侵害する言論をしない」と確約することとなった。檀徒側の全面敗北である。
 そもそも樋田なる男は日顕直属の謀略組織の一味と結託しており、これまでも、学会を怨嫉して薄汚い姑息な謀略を繰り返してきた。しかし、今回の全面敗北により、樋田らは、そうした邪悪な動きを厳しく封じられることとなったのである。
 日顕宗といえば、初代ニセ法主・日顕が自らのデマ発言で最高裁から断罪されたほか、悪質なデマビラ事件で坊主や檀徒に賠償命令が下るなど、続々と司法の追及を受けている。


 戦中、「神札」の強要に抗して、「治安維持法違反・不敬罪」で、初代会長・牧口常三郎先生とともに牢獄へ入られた、第2代会長・戸田城聖先生。その戸田先生が、“戦争に加担していた証拠”という『通諜』なる文書が、写真週刊誌「フライデー」に掲載された。
 が、やっぱり「妙観講」の仕業だったw
 そもそも『通諜』でなく、『通牒』
 妙観講は恐喝犯・山崎正友が所属もしている謀略集団。「ペテン師」“軍師”の時点でアレw

使い古しの偽造文書『通諜』騒ぎ
筆跡は戦後の法華講員
日顕配下の謀略講頭がデマのネタ元
『創価新報』2005年11月2日付)

神札受託の法主・日恭は焼死の現証
これが歴史の真実
初代、2代会長は軍部と対峙し殉難

写真 偽造文書「通諜」に関するデマを掲載した「フライデー」の発行元・講談社(東京都文京区)

 やることなすことすべて不発の日顕宗が、またぞろ使い古しのデマの蒸し返しを画策している。「通諜」なる文書がそれだが、この「通諜」、戦時中の学会の正義の歴史を歪曲するため、戦後に捏造された「偽書」であることがすでに明白になっている。牧口会長、戸田理事長が軍部の弾圧に屈せず、大聖人の法義を貫き、平和社会の実現を目指した学会。それに対し、軍部に迎合して戦争遂行に協力し、神札まで受け、その結果、時の法主が焼死するという厳しい現証に見舞われた宗門。これが歴史の真実である。ここでは、写真週刊誌を使って、この厳然たる歴史をネジ曲げようとカラ騒ぎする日顕一派の画策を斬る!

取り調べでも立正安国を貫く

 問題の記事が掲載されたのは写真週刊誌「フライデー」(講談社)の11月4日号。同誌は、「通諜」なる朽ちかけた文書の写真を掲載して、そこに「会員一同各職域に於いてその誠心を致し信心を強固にして米英打倒の日まで戦い抜かん」等と記載され、発信者名が「戸田城外」となっていることから、これを根拠に、あたかも“学会は戦争に加担した”“国家神道を容認した”かの如く記している。
 しかし、この「通諜」が戦時中のものなどではなく、戦後に作られた「偽書」であることは様々な角度から検証済みなのだ。
 そもそも、牧口初代会長、戸田理事長(第2代会長)は戦争の道を突き進む軍部政府に敢然と対峙。その精神的支柱である国家神道を否定するとともに、神札の受け取りを明確に拒否したのである。
 牧口会長の尋問調書にも、その厳然たる姿勢が明白である。
 「現在の日支事変や大東亜戦争等にしても其の原因は矢張り謗法国である処から起きて居ると思ひます。故に上は陛下より下国民に至る迄総てが久遠の本仏たる漫荼羅に帰依し、所謂一天四海帰妙法の国家社会が具現すれば、戦争飢饉疫病等の天災地変より免れ得るのみならず、日常に於ける各人の生活も極めて安穏な幸福が到来するのでありまして之れが究極の希望であります」
 つまり、牧口会長は、取り調べにあっても立正安国の精神を堂々と主張したのである。その牧口会長の獄中での死は、まさしく殉教であり、反戦・平和を貫いた尊い生涯であった。
 何よりも、「通諜」の筆跡は戸田理事長の筆跡とはまったく異なる。この一点で、戸田理事長の作とする話は総崩れだ。
 そればかりか、その筆跡は、戦後入信し、戦前の創価教育学会とは何ら関係もない、ある寺の法華講員のものであることが、証拠の上から裏づけられているのである。
 さらに、「通諜」には、「6月25日」という日付のもが記されており、年号がないことも極めて不自然。題号も本来、「通牒」と書くべきであり、教育者である戸田理事長がこのような間違いをすること自体、考えられない。
 また、「通諜」は、当局に押収されたというが、押収資料に貼られる番号入りの付箋もついていない。まったく、出所不明の文書なのである。

提供者は反学会の急先鋒

 さらに、フライデーは、この「通諜」を提供した人物が「稲葉荘(さかり)」であるとしているが、この男からして、いわく付きの人物なのだ。
 稲葉荘は戦前に入信しているが、昭和18年の学会弾圧の時点では満州(現在の中国の東北部)に住んでおり、日本にはいなかった。
 従って、当時の学会中枢の動きを知る立場にはまったくない。
 荘の父親の稲葉伊之助は当時の学会幹部で、学会に対する弾圧で逮捕された一人だが、戸田会長が創価学会の歴史と確信」で、「取り調べのすくをうかがって二階から飛び降りたほど苦しんだ稲葉伊之助氏などは、四か年の刑を恐れて畜生界のすがたであった」と述べている通りの、節を曲げた人物。
 息子の荘も脱会して寺につき、第1次宗門問題の昭和50年代には反学会グループである「正信会」に所属して、急先鋒の活動家として学会批判を繰り返してきた。稲葉荘が「通諜」の話を口にしだしたのも、学会批判と時を一にする。
 そんな偏向した男の証言が、信用できるわけがなかろう。
 戸田会長の筆跡でないのは明白なのだから、それでも「通諜」が戦時中の文書というなら、一体、「誰」がこれを書いたというのか。
 そのほかにも、1.通諜の6月25日との日付について「昭和18年」と断定しているが、そこには何の根拠もない。2.当時の理事、支部長など学会幹部は見たことも聞いたこともないと断言している。3.逮捕された学会幹部に対する取り調べの記録にもまったくでてこない。4.牧口会長の尋問調書にも何の痕跡もない。5.戸田理事長の裁判記録にもまったく触れられていない――などの点からも、「通諜」が偽造文書であることは明らかなのである。

笑われるだけの発行元・講談社

 それにしても、こんな使い古しのデマを一体誰が写真週刊誌に持ち込んだのか。それは紙面を見れば一目瞭然。
 今回、フライデーに掲載された写真は、近年、この問題で騒いだ「慧妙」(平成5年月1日付)に掲載されたものとまったく同じ。しかも、「法華講大講頭」の肩書きで、デマコメントをしているのが、妙観講の講頭Oなのだ。
 学会に難癖をつけることで日顕に媚びてきたO一派が、その難癖のネタも枯れ、こんな手垢の付いたデマを写真誌に持ち込んだというところだろう。
 しかし、O一派が騒いできた話は、これまでも作り話のウソ八百ばかりではないか。
 日顕の温泉豪遊が発覚するや、旅館の女将を引っ張り出して否定をしたが、それも大ウソ。
 芸者写真の時には“首のすげ替え”“あんな柄の袴は持っていない”と言ったが、これもデタラメ。
 正本堂解体の口実にした赤サビ云々も“自作自演”のデッチ上げ。
 信平夫婦の狂言騒ぎでは、新潮記者と一緒になって裁判の起こし方まで謀議……。
 その謀略は枚挙に暇がないが、いずれも完全に破綻している。
 写真誌は、こうしたOとその一派の前歴を調べたのか。そうと知ってこんな男の持ち込んだネタに飛びついたとしたら、マスコミとしての見識を疑うばかりだ。
 日顕べったりで法主絶対の“迷信”に凝り固まったO一派は、こんな偽造文書で学会に泥を塗ろうと企む前に、戦時中、戦争遂行に加担し、神札を受け取った謗法法主・日恭が無残にも焼死し、大石寺の諸堂宇が焼け落ちた厳しき現証を、謙虚に受け止めるべきではないか。
 当時、高僧も「宗門全体に対する御罰でなくて何であらう、今こそ宗門の僧俗一同の責任に於て深く惣懺悔をしなければならぬ」と述べている通りである。
 フライデーも、さすがに根拠のなさが後ろめたいのか、「文書の真贋について、断言する決定的材料はいまのところ乏しい」と書かざるを得ない始末。
 だが、こんな謀略講頭Oのいい加減な作り話を掲載しているようでは、講談社も大恥をかくだけだ。


御本尊“強奪”で訴えられた妙観講
日顕のお先棒を担ぐ謀略集団
法道院を離籍(昭和52年)
法主・早瀬の“不倶戴天の敵”

写真 妙観講本部(東京・杉並区)
 日顕「親衛隊」を気取り、数々の謀略活動を重ねて来た妙観講(理境坊所属)。この檀徒一派は、日顕“覚えめでたい”ことをいいことに、好き勝手に蠢いては違法行為などを繰り返し、宗内からも顰蹙を買ってきた“お荷物”集団である。
 この檀徒一派が現在、裁判で次々と訴えられている。
 デマビラを作製・配布した長野の日顕宗檀徒が今年3月、裁判で全面敗北したが、同じデマを御用機関紙「慧妙」が掲載したとして、名誉棄損で提訴された。
 また昨年9月、檀徒一派らに御本尊をもち去られた老婦人が、返還と慰謝料の支払いを求めて民事訴訟を起こしている。
 高齢者の学会員宅に押し掛けては、御本尊を強奪していく――このような言語道断の事件は、今回のケースばかりではない。
 デイサービスの職員をしている檀徒一派の構成員が、介護する老婦人の御本尊を奪い取っていった事件や、未成年の女性に対し、ストーカーまがいでまとわりついて、御本尊を持ち去ろうとした事件など、社会的にも問題視される出来事が頻発している。

 そもそも、この檀徒一派は、選挙の時期が近づくたびに、学会や公明党を中傷するビラをコソコソ撒き散らす、デマビラの“常習犯”である。
 これら日顕宗の選挙狙いの謀略は、司法の場で何度も断罪されてきた。
 平成12年4月、衆院選を前にして、檀徒一派の幹部・佐貫修一らが配布したデマビラ事件では、100万円の賠償命令が確定した(平成17年2月、最高裁)。この判決では、「組織的に広く配布された」「衆議院選挙を直前に控えた時期に行われた」と、その組織的な違法行為が厳しく糾弾された。
 また平成13年5月、都議選、参院選直前に、やはり佐貫らが撒いた違法ビラ事件では、「著作権侵害」「著作権人格権侵害」が認定され、佐貫に対して100万円の支払いが命じられている(平成17年4月、最高裁確定)。
 昨年末、日顕が法主を辞める間際にも警察沙汰を起こし、日顕退座に追い打ちをかけたのも、この檀徒一派である。
 12月10日夜、学会の男子部員が部員宅へ激励に行くため、大石寺近くの公道を歩いていたところ、突然、大石寺を警備する会社の檀徒らが取り囲んだ。そして警察官のように詰問した揚げ句、写真まで撮ったのである。これは明らかに、学会活動への妨害行為だった。
 結局、警察官立ち会いのもと、檀徒が男子部員に対して陳謝。警備会社の責任者も呼び出され正式に謝罪した。これらの檀徒が、誰あろう一派の構成員だった。
 ほかにも檀徒一派の不祥事は枚挙に暇がない。
 女性のスカートの内を使い捨てカメラで盗撮して、現行犯逮捕された男。暴力行為や詐欺事件で逮捕された男など、反社会的行為に手を染めるものが多いのが、この檀徒一派なのである。

 さて法主が日顕から早瀬日如に替わり、最も気をもんでいるのが、実はこの檀徒一派である。というのも、これまでは日顕に気に入られるように“得点稼ぎ”に励んできたわけだが、現法主の早瀬とは因縁浅からぬ仲であり、今まで通りに勝手気ままに行動するわけにはいかないからだ。
 檀徒一派の構成員は本来、法道院(東京・豊島区)に所属する檀徒だった。しかし昭和52年12月、現講頭の大草一男らが当時の主管・早瀬日慈を批判して、200人以上を引き連れて法道院を離籍した経緯がある。
 その後、日顕から「妙観講」の名称を与えられ、日顕のお先棒を担いで、謀略活動を展開するようになったのである。
 つまり、早瀬日慈の息子・日如にとってみれば、これら檀徒一派は、ある意味で“不倶戴天の敵”。日如は、檀徒一派が日顕のもとで暗躍していたことを、誰よりも苦々しく眺めていたに違いない。
 供養もろくに出さずに、好き勝手に活動する檀徒一派のことを、早瀬が今でも、毛嫌いしているのは、宗内では誰でも知っている話だ。
 今は互いに様子を見ているのかもしれないが、檀徒一派にしてみれば、早瀬からどんな仕打ちが待っているのか、まさに戦々恐々といったところだろう。


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